2008年04月19日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「プロ」と「アマ」の違いは?:2つの定義


こんにちは。水口です。

今日は、「プロ」と「アマ」の違いという話です。


■ プロとアマの違いとは?

「プロフェッショナルであるための条件」については、以前にもこのブログで
書いたことがありましたが、もう一度話を蒸し返してみたいと思います。

というのは、こんな記事があったからです。

404 Blog Not Found:プロとアマの違いに関するたった一つの公理

dankogai氏は「プロとアマの違い」(以下「プロアマ論」と呼びます)について、
次のように述べています。 (『』内は引用です)
 
『なぜなら、上に挙げられたものはすべて定理であり、それらはたった一つの公理
から導出できるからだ。

  相手と自分の利害が対立したとき、

   ・ 自分の利害を優先してよいのがアマチュア
   ・ 相手の利害を優先しなければならないのがプロフェッショナル 

 これだけだ。』

                               (上記ブログより引用)

「上に挙げられたもの」というのは、他のブログで言及されているプロアマ論です。
dankogai氏のプロアマ論はシンプルでわかりやすいですね。

ただ、私はプロアマ論について、違う見方をしています。

 ・ (努力はするとしても)結果を約束できないのがアマチュア
 ・ (どんな手段を使ってでも)約束を果たすのがプロフェッショナル

と考えています。dankogai氏の定義とは似ていますが、ちょっと違いますね。


この定義だと、「約束を果たすのは当たり前だろう」と突っ込まれそうですが、
私は一線を引くのは、この一点にあると考えています。もう少し説明します。


■ 技術が高ければ「プロ」なのか?

「プロフェッショナル」であるための条件の1つとして、「技術が高いこと」を上げる
人は多いと思います。確かに、なにかの分野のプロである以上、技術は高くある
べきだと思えます。

たとえば、イチロー選手のように、目先の結果よりも、技術(プロセス)を改善する
ことに執着する人には、強いプロフェッショナリズムを感じることがあります。

もちろん、イチロー選手は「プロフェッショナル」であると思いますが、それは、
「最終的に結果を出す」ための技術であるわけで、「結果を出す」という約束や
責任を果たす(ために最善の努力をする)という意識が先にあるわけです。


「技術」についてもうちょっと言うと・・・私はこう考えています。

・技術は低いが、どんな手段を使ってでも(人を使う、時間を使う、等々)、
 その仕事をやりとげる人

は、「プロ」だと言ってもいいのではないでしょうか。

野球の世界では、これはできませんが、他の仕事ならできる場合があります。
自分の技術が伴なわないとしても、そのぶん手間や時間を惜しまず投入して
でも必ずやり遂げる人は、顧客から見ればプロだと思います。

逆に、

・技術は高いが、約束を守らない人

は、言うまでもなくプロではありません。

もちろん、長きに渡ってプロであり続けるためには技術を磨かなければ、続かない
ですし、努力の方向を間違えなければ技術はおのずから高まってくるものです。
ですから、「プロ=技術が高い」となることが多いわけですが、プロアマの一線を
そこに引くべきではないと考えます。


■ 「プロは相手の利害を優先する」の意味

dankogai氏による定義
 
『 相手と自分の利害が対立したとき、

   ・ 自分の利害を優先してよいのがアマチュア
   ・ 相手の利害を優先しなければならないのがプロフェッショナル  』


は、ちょっとしっくりこないという人もいると思います。私も最初そう感じました。
「常に相手の利害を優先する」ということになると、無制限になんでもしなければ
いけないということになりかねません。

ただ、これを深読みすると・・・こういうことだと思います。

当初の「約束」にない事態が起こり、相手と自分の利害が対立したときには、

 ・ 自分の利害を優先してよいのがアマチュア
 ・ 相手の利害を優先しなければならないのがプロフェッショナル  」

ということです。これなら腑に落ちます。
最初に私の定義としてあげた、

「 ・ (努力はするとしても)結果を約束できないのがアマチュア
 ・ (どんな手段を使ってでも)約束を果たすのがプロフェッショナル 」

よりももっと踏み込んだ(危機的な状況になった場合の)「プロアマ論」と
いうことになりますね。そういう見方をすると、両方とも言っている内容は
近いように思えます。


■ 「ベストエフォート型」と「ギャランティ型」の違い

この「約束を果たす」という「プロ」の定義は、実はもう少し深掘りできます。
そのためには、まず、(以前にも書きましたが、)「ベストエフォート型」と
「ギャランティ型」の違いを考えるとわかりやすいと思います。

「ベストエフォート」と「ギャランティ」は、通信速度について使われる言葉です。

 ・ 「最大○○Mbpsです。でも混んできたらこれより遅くなるかもしれません」
   というのが「ベストエフォート型」

 ・ 「通信速度は○○Mbpsを保証します」というのが「ギャランティ型」


・ アマチュアの仕事は「ベストエフォート型」でも良い。

・ プロの仕事は「ギャランティ型」であるべく、最大限の努力を払うべきである。


というのが基本です(これは先の私の定義を違う言葉で言い換えたものです)。


しかし、「プロ」は必ずしも、すべてにおいて「ギャランティ型」であるとは限りません。

むしろ、「ここだけは絶対守る」という基準を明確に持っていることが「プロ」らしさ
を際立たせているように思えます。


たとえば、プロの中には、何に対して「ギャランティ型」なのか、独自の決め事を
作っている人もいます。クリエイター系の職種を例にあげると、なかには「自分が
納得できるクオリティ」に仕上がらなければ、納期を遅らせてしまう人もいるわけ
です。それは「プロ」ではない、という見方もできる反面、中途半端なクオリティの
仕事をしない、というのは「プロ」らしくもあります。

もちろん、納期を守らないのほめられたことではありませんが・・・、
自分の中に「ゆずれるもの」と「ゆずれないもの」の基準をしっかりもっていて、
それが揺るがないことは、プロとして必要なことではないかと思います。

・ ある面では「約束」を守らないことがある(かもしれない)けど、
  ゆずれない部分では必ず「約束」を守る。

・ その「ゆずれないもの」のためには、自分の命を張ってでも成し遂げる。

というのが、プロではないでしょうか。

ある人にとって、それは「クオリティ」であり、ある人にとっては「納期」である。
もちろん、その両方をゆずらない人もいるでしょう。・・・これらは、「人」という
よりも、仕事の内容によって決まってくる部分も大きいと思います。


というわけで、まとめます。

「プロフェッショナルである」という条件(私なりの定義)は、

 ・ (努力はするとしても)結果を約束できないのがアマチュア

 ・ (どんな手段を使ってでも)約束を果たすのがプロフェッショナル 」

さらに踏み込んで言うと・・・

・ プロフェッショナルも、ある面では約束を守らないことがある(場合もある)
  しかし、「ゆずれない部分」では、必ず約束を守る。

・ その「ゆずれないもの」のためには、自分の命を張ってでも成し遂げる。

・ その「ゆずれないもの」が何かという基準は、いかなるときも揺るがない

となります。


私としては、結構すっきり、腑に落ちる感じでまとまったのですが、
どう思いますか?



今日の話に関連する、以前に書いたものはこちらです
プロフェッショナルの条件−1 ベストエフォート型からギャランティ型へ

プロフェッショナルの条件−2 「納期」と「クオリティ」

プロフェッショナルの条件−3

こちら↓は、もう少し幅広い解釈です
プロフェッショナルの条件−4 : 「55人のプロフェッショナル」

プロフェッショナルの条件−5 : 4つの条件 + 1


今日の記事作成時間は80分でした。

では、また明日!


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Posted by 水口和彦 at 23:52 │Comments(4)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
 「プロ」と「アマ」の違い、こんな定義を考えました。
 プロ:その事柄に拠る収入で生活出来ている人
 アマ:その事柄に拠る収入で生活出来ていない人
ちなみに、「アマ」でも「プロ」と同等の技術の持ち主を「エキスパート」もしくは「専門家」と言う風に考えました。

 強引すぎる発想でしょうか。(^^;
Posted by yume at 2008年04月20日 21:23
水口です。

yumeさん、ありがとうございます。

「 プロ:その事柄に拠る収入で生活出来ている人
  アマ:その事柄に拠る収入で生活出来ていない人 」

基本はこれでいいと思うんですけど・・・
「収入を得ている・生活できている」人が必ずしも
「プロ」と思える人ばかりでもないという現実も
ありますから、話がややこしくなるんでしょうね。きっと。

なんというか・・・肩書きとしての「プロ」と、
「プロ」はこうあってほしい(こうあるべきだ)
という「プロ」は違うんですかね。
Posted by 水口和彦 at 2008年04月23日 07:24
水口様
 「肩書きとしての『プロ』」と「こうあってほしい(こうあるべきだ)『プロ』」と言うのは、業種による大小はともかく、ギャップはあると思います。
「事例」と「検証」だけ挙げていっても1冊の本が出来るのでは?と感じます。(素人考えですが)

 個人的経験からすれば、サービスエンジニアの様に「他人(客)の前で作業をする」と言う職種では、経験年数や実力の有無に関わらず「『プロ』としての肩書き」を背負う(背負わされる)事になる印象があります。

 「こうあってほしい(こうあるべき)『プロ』」と言うと、この2人が私には思い浮かびます。
1人目:さいとう・たかを氏の創り出した「デューク東郷」こと「ゴルゴ13」(『ゴルゴ13』)
2人目:水島新司氏の創り出した「あぶさん」こと「景浦安武」(『あぶさん』)

 長くなってスミマセン。
Posted by yume at 2008年04月27日 04:05
水口です。

yumeさん、ありがとうございます。

『プロ』論で1冊の本ができるのでは? というのは、同意します。
人や仕事によって、共通するもの、違うものなどあって深そうです。

『経験年数や実力の有無に関わらず「『プロ』としての肩書き」を背負う』
という状況、わかります。
私はダイビングのインストラクターを目指していた頃、感じました。
こちらはまだ修行中の身(プロ資格が無い、ショップのお手伝い)でも、
お客さんからみれば(サポートスタッフとしての)「プロ」。
ですから「プロ」としての行動が求められるという状況です。

ゴルゴ13は、「プロ」の1つの形として、私もよく思い浮かべます。
「あぶさん」は読んだことがないのですが、きっとゴルゴ13とは、違う
イメージなのでしょうね。

いくつかの「プロ」のイメージを持つことは、自分の行動を振り返ったり
考えたりする上で役に立ちそうです。
Posted by 水口和彦 at 2008年04月28日 06:42
 

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