2008年06月10日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「働く場」があることの重要さ


こんにちは。水口です。

今日、用事があって秋葉原に行ってきました。一昨日に事件があった
ばかりなので、あまり気が進まなかったのですが・・・。


■ 「場」があることの重要性

先日の秋葉原の通り魔事件には、私も衝撃を受けましたので、いくつか
ニュースを読んだりもしてみました(私は普段はあまり「事件」のニュースは
見ないのですが)。

そのなかで、少し気になるところがありました。それは、今回の事件の容疑者
が、職場でのトラブル(というべきか、本人の勘違いかはわかりませんが)が
きっかけで欠勤し、その後犯行におよんだという部分です。

これを「犯行のきっかけを作ったのは職場だった」と決めつけるつもりは
まったくありません。また、容疑者の行為を正当化するつもりも、まったく、
微塵もありません。絶対に許されないことだと思います。

根本的な原因や責任は容疑者自身にあるのが前提ですが、そのなかで
容疑者が「もう仕事にいかない」と仕事をあきらめたことが、犯行におよぶ
きっかけになっているのかもしれないと思えるのです。

くり返しますが、職場が悪いといいたいわけではありません。
むしろ、「働く場がある」ということが、間違った方向に突っ走らないための
一種の「歯止め」になっていたのではないか、と思えるのです。



「働く場がある」というのは、自分の「居場所がある」ということでもあり、
自分が「社会から必要とされている」ことのわかりやすい証でもあります。

※ 誤解の無いように付け加えておきますと・・・
   たとえば、「専業主婦」の場合は、家庭が「働く場」であるということで
   あり、「働く場」がないということにはなりません。また、株式投資などで
   生計を立てている人も、投資という経済活動・市場に参加していると
   いう意味において「働いている」と考えることもできます。


ですから、私は「働ける場」があること自体が、ありがたいと思っています。
それが会社が作った「場」であれ、そこに身を置くことができるということは、
自分の「居場所がある」ということであり、「社会から必要とされている」と
いうことです。

※ 「居場所がある」ことと、「必要とされている」ことは、よく似ていますが、
   物理的な(あるいはバーチャルな)居場所と、自分を必要とする顧客や
   雇用主の居場所は必ずしも一致しないので、分けておくことにします。

独立すると感じますが、自分でその「場」を作るのは、そう簡単ではありません。
そんな「場」を用意してくれている「会社」という存在は、とてもありがたい一面
を持っているんです。 ・・・と、今は思いますね。


  こういう話をすると、「自分の仕事は歯車の1つでしかない」とか、「替えが
  きく存在だ」という理由で、「自分は特に必要とされているわけではない」と
  結論づける人もいますが、私はそれはちょっと違うように思います。

  「替えがきく」かどうかは問題ではありません。たとえば、総理大臣にしろ、
  超有名人や大スターにしろ、もしその人がいなくなったとしても、(何らかの
  影響はあるにせよ)社会はちゃんと回っていきます。そういう意味では、
  絶対的に「替えが効かない」という人は、もともといないんです。

  それよりも、自分自身が働いた結果が、何らかの形で社会、つまり、
  消費者や、取引先企業や、社内の人たちにつながっているということの
  ほうが重要です。それがある限り、「必要とされている」ことには違いない
  のです(ですから、どんな仕事でも「必要とされている」ことに変わりは
  ないといえます)。


ですから、私はそういう「場」があることがありがたいですし、そういう「場」が
なくなってしまうことを恐れます。一時的にはいいかもしれませんが、長期的に
働かない状況に身を置くことは(もし経済的に可能だとしても)、あまり考えたく
はありません。

たとえば、「経済的基盤を確立して早期にリタイアする」といったライフプラン
は考えにくいですし、もしそうなったとしても、何かやりたくなると思います。
(たとえば、お金にならない「趣味」でもいいから、少し社会性のあることを
 やりたくなるのではないかと思います)。


会社にいると、そういう「場」があるのが当たり前だと思うかもしれませんが、
それは実はとてもありがたいことなんです。

自分が勤める会社に対して、「会社は○○してくれない」といった文句を
連ねる人もいますが、そんな会社であっても、「場を提供する」ということは
してくれています。その点においては「会社」という存在に、もう少し感謝の
意を持ってもいいのではないでしょうか。

※ もちろん、だからといって劣悪な労働環境を放置したりする会社を
   正当化するものではありませんが。


では、今日はこのへんで・・・



今日の記事作成時間は63分でした。

では、また明日!




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Posted by 水口和彦 at 23:51 │Comments(3)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
職場に居場所を求めるというのはありますよね。

女性なら、寿退社して初めてそう思うことがあるようです。
社会との接点、必要とされることがまったくなくなった時の孤独感は正直怖いです。

まだ、何かやりたい事や目標があるならいいんでしょうけど。。。
Posted by 昼下がり at 2008年06月11日 12:53
> 「自分の仕事は歯車の1つでしかない」とか、
> 「替えがきく存在だ」という理由で、「自分は特
> に必要とされているわけではない」と結論づける
> 人もいますが、私はそれはちょっと違うように思
> います。

↑同感です。

歯車であれば,自分が動けば会社全体が動くはずです。
Posted by kakobon at 2008年06月11日 22:24
水口です。こんばんは。

「昼下がり」さん

なるほど、寿退社の場合、仕事もなくなるし、環境も変わるしで、
結構つらいものがあるのかもしれませんね。

最近は結婚しても働きたいという女性が多いですが、
それは経済的な余裕を持ちたい、ということだけではなく、
社会とのかかわりを持ちたいという思いも強いのかもしれませんね。


kakobonさん

「歯車」はまさにその通りですね。
歯車が動いている(かみ合っている)ということは、
まさに自分自身の仕事が、他の人の役に立っているという
ことでもあり、自分自身が何らかの影響力を持った存在であると
いうことですね。

逆に言えば「かみ合ってくれる歯車」が無い状況に比べて
「歯車」があるのは幸せなことだと思います。



Posted by 水口和彦 at 2008年06月12日 23:10
 

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