2009年03月06日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「成功法則」的なものに対して、(最近)違和感を感じる理由


こんにちは。水口です。

今日はいわゆる「成功法則」的なものについての話です。


■ 「成功法則」があふれてすぎていると思いませんか?

昨日の記事で、本の引用部として「成功法則」的なものに少し触れました。

「成功法則」的なものは昔からありますが、昔はマイナーなものだったのに
対し、現在はかなり広く知られるようになっています。

たとえば、

  「成功イメージ」を持てば、その姿に近づく

とか、

  成功者は○○をやっている (同じことをすれば成功する)

とか、そんな類の話は今はあちこちにあふれています。


そういう話が嘘だと言うつもりはありません。

そもそも、人はイメージできないことにはなかなか挑戦する意欲がわきません
から、「こうなりたい」というイメージも持つことは基本的に良いことでしょう。
また、何らかのイメージ(理想像)があるからこそ、それに沿った情報が目に
入ってくるという面もあります。

成功した人の真似をする、というのも、もちろん基本的に良いことです。
(変なとこをマネしちゃだめですが・・・)

それらは決して間違いではない・・・というか、理屈にも合うし、正しいことだと
言ってもいいのかもしれませんが、私はある時期から違和感を覚えるように
なりました。


■ 「成功法則」に対する違和感

私も過去にいろいろ「成功系」の話を読んだりしましたし、そういう話に
かぶれそうになったこともあります。

たとえば、「宇宙の意志」みたいなものにつながるといった話になってくると、
私はついていけないのですが、それは置いておいて、「成功系」の話には、
基本的に、良いことが書かれていることが多いです。


先ほどの「イメージを持つ」というのもありますし、少し違った方向で、
「生活習慣を改める」という方向からアプローチするものもあります。

「生活習慣」というのは、たとえば、「トイレ掃除をする」とか、「脱いだ靴を
揃える」とか、そういうものも含まれます。これも基本的に良いことですよね。


そういった話は、話としてはいいことを言っていますし、ちっとも間違っては
いません。問題は、その話を受け取る側(あるいは伝える側)にあるように
思います。

実は私も、「脱いだ靴を揃える」ことはある時期からやり始めたので
(今も続けてます)、これを例に考えてみます。


  人間的に成長するためには、小さなこともおろそかにしないように
  (だから、脱いだ靴もちゃんと揃えましょう)


という話は、全然変じゃないですよね。「靴」にこだわるかどうかは別として、
やった方がいいと思います(やらない人がどうこうという意味ではなく)。

しかし・・・、

  「成功するために、脱いだ靴を揃えなければ・・・」


と思っている人は、傍からは変に見えると思いませんか?

たとえば、普段から脱いだ靴を揃えるのが当たり前になっている人が、
「成功するために靴を揃えてます」という話を聞いたら、おそらく違和感を
感じるはずです。

なんで「成功」と関係あるの? という疑問もあるでしょうが、それ以上に
「靴を揃える」という(その人にとって)当たり前のことをするために、なぜ
「成功」を持ち出さなければいけないの? と思うのではないでしょうか。


違う言い方をすれば・・・、

「靴を揃える」という、ちょっとしたことにまで「成功」というニンジンを
ぶらさげなければいけないのならば、「成功」への過程でもっと困難な
状況に遭遇したときにはどんなニンジンをぶらさげたら良いのか・・・?
ちょっと想像がつきません。


うーん・・・。 あまりうまく説明できていないかもしれません (汗)
「靴を揃える」を、「お客様に感謝する」に変えてみましょうか。

次のどちらの人が、商売で成功すると思いますか?
(どちらの人のお店に行きたいでしょうか?)

 ・ 「成功するため」だと思いながら、お客さんに感謝する人
 ・ 「成功」しようがしまいが関係なく、お客さんに感謝する人

他の条件が同じなら、後者ですよね。

「成功」しようがしまいが、自分が気持ちいいと思ったこと、いいと思った
ことをやる人の方が魅力的です。


つまり、「こうすれば成功する」とか、「成功した人はこうやっている」というのは
とっかかりにはいいかもしれませんが、それにこだわりすぎるのは、かえって
自分の経験や成長を阻害しているのではないか? と言いたいわけです。
(昨日の「一歩一歩の積み重ね」が大事だという話にもつながります)

いわゆる「成功法則マニア」的な人が、実際にはなかなか成功しないのは、
それが原因ではないか? と思ったりもするのですが、言い過ぎでしょうか?



「成功法則」的なものが悪いというつもりはないのですが、私は最近、
その取り上げられ方に引っかかりを感じてしまうことが多いです。

その理由を説明しようと考えてみましたが・・・、なかなか難しいですね。
昨年に書いた記事↓からあまり進歩していないかもしれません。
(・・・すみません)

「成功本」を読んでいると「成功」できない理由



今日の記事作成時間は58分でした。
では、また明日!


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Posted by 水口和彦 at 23:55│Comments(3)TrackBack(1)

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ひさびさのエントリです。 「成功法則」的なものに対して、(最近)違和感を感じる理由:時間管理術研究所 □□ 仕事と生き方、幸せの研究所 □□ 私も最近、成功本と言われるジャンルの本をよく読んでいました。読んでいるときは気分も高揚して、良い気分になるのですが...
【日記】違和感の正体【電気鼠】at 2009年03月11日 23:43
この記事へのコメント
私も成功本は勇気を与えてくれる素敵な存在と思います。でも、例えば「目の前のことときちんと向き合って行こう」という基本姿勢に対して、小物や事例の方ばかりに焦点があたっているような感じもします。
「自分はどうしたいのか」という芯があると自由に動けますが、成功しそうな細かいパーツを集めすぎると、かえって重たくて動けなくなるかもしれないな、と思ったり…。いろんな事例から自分にとって普遍的なものを見つける姿勢を促すようなプロモーションも必要かな、と感じるこのごろです。
Posted by うろこ at 2009年03月08日 12:05
 「因果の可逆性」

 「(成功者は)サイコロを振って6が出た。だから(あなたも)サイコロを振れば6が出る(事もある)。」
 この( )の中を意図的にか天然かは不明だが、書き漏らしている。
 要は、「成功者はこう遣りました。」を
「こう遣れば(あなたも)成功者です。」とひっくり返すところに論理破綻の一因がある。

 将棋にしろ囲碁にしろ、定跡(定石)があり且つ都度最良手はある(そしてそれらに関する解説本も多くある)。だが、初手から勝つ事が決まっている「必勝法」は無い。
 そして、名人・棋聖の棋譜を解析し又た引用し、それを以て「必勝法」として【値段をつけて売り出す事】こそが、彼等にとっての「成功法」なのであろうと考える。本の通りに行動して成功できなくても、責任をとる事は無いのだから。
Posted by gato at 2009年03月08日 12:32
水口です。

うろこさん、gatoさん、ありがとうございます。
それぞれ、納得出来るところがあります。

結局のところ・・・(←無理矢理まとめてる?(笑))

受け手の立場で言えば、自分の行動に責任を持てるのは自分だけで、
だからこそ、「借り物」ではいけないのだと思います。
たとえそれが正しいことだったとしても、「借り物」では
意欲も行動も続かないですから。

送り手の側を見れば、確かに「必勝法」に値段をつけて売ることが
一つのビジネスとして成立していますね。

ちょっと気の利く人なら、成功事例からそれらしい「必勝法」を
見出すのは難しくないと思います。

しかし、それを「必勝法」としてリストアップした時点で、必ず
何かを見落としているはず(すべてをすくい取ることは不可能)
だと思います。

逆に、本当の「必勝法」は、「ノウハウ」的に扱えるようなものでは
ないのだと思います。もちろん、形から入ることも否定すべきでない
ですが、「成功」をエサにあざとい商売をするのは共感出来ませんね・・・。
Posted by 水口和彦 at 2009年03月09日 01:36
 

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