2011年08月30日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

研修を行う立場として大事なこと (の1つ)


こんにちは。水口です。
今日は研修に関連した話です。

こういう記事↓がありました。

Business Media 誠:「知っている」が学ぶ心を妨げる (1/2)

『』内は引用です)

『 企業で研修を行うと、たいてい主催の人事部(人材育成担当)は受講者
(社員)に事後アンケートを取ります。そのアンケート結果は、研修プログラム
の開発者であり講師である私にとっては、いわば成績表のようなもので、
良い評価であれば励みにし、意見やクレーム・批評のようなものがあれば
改善要求書ととらえて参考にします。いずれも見るのは楽しみです。

 しかし、そんな中で残念な感想というのがあります。それは例えば――
「分かりきった内容のことが多かった」「どこかで聞いたような話だった」
「1 日拘束されてやるほどの情報量がなかった」「理論的に目新しいもの
ではない」「実際の業務には使えない」といった類のものです。

 もちろん私も、このような声が出ないよう、もっと知的満足を与えるための
改善の努力を重ねるわけですが、このような類の感想はどうしても出てしまう
のです。その理由は「知識が学ぶ心を妨げているから」です。』


                                 (上記サイトより引用)

この著者がいう、『知識が学ぶ心を妨げている』という人たちは、
私なりの解釈でいうと・・・

  「それ知ってる」と思ったことに対して、
  もっと踏み込んで学ぼうという意志を持たない人

という感じです。確かに、そういう人っている・・・とは思います。
知識としてちょっと知っているだけで、分かった気になってしまう
という感じです。


で、この記事の著者は、この後、こういう人たちを批判しているのですが、
私はその言説にちょっと違和感を覚えるんです・・・。

『』内は引用です)

『 私たちはあまりに知識所有教育を受け、情報優位社会に生きているので、
「ああ、それなら知ってるよ」と思ったとたん、それ以降の「考えること」をしなく
なります。そして、もっと知らない知識・もっと目新しい情報を欲しがるのです。

(中略)

 知識狩りに忙しい人は、新奇のものを知ることに興奮を得ていて、本当の
学び方を学ばない。ハウツー情報狩りに忙しい人は、要領よく事を処理する
ことに功利心が満たされ、物事との本当の向き合い方を学ばない。』

                         (上記サイトの2ページめより引用)

まあ、書いてあることは分かる気がしますよ。確かに。

  「知ってる」と思っただけで、それ以上「考えること」をしなくなる。
  物事との本当の向き合い方を学ばない。

確かに、そういう人(そういう状況)はあるように思います。

―――――――――――――――――――――――――――――――
※ たとえば、ビジネス書を多読しているけれど、本に書かれていることを
  自ら実践することはない・・・なんてタイプの人もそれに近いと思います。

  私は多読を否定するつもりはありませんし、私自身も(平均と比べれば)
  かなり多読な方だと思います。ただ、「数をこなすこと」が目的になって
  しまっては本末転倒だとも思っています。
―――――――――――――――――――――――――――――――

ただ、(特に研修においては)そういう人を批判すべきかどうかは微妙と
いうか、私個人の意見としては、批判すべきではないと思っています。
受講者にそう思わせてしまったのは、講師の責任ではないですかね。


「考えること」とか「本当の向き合い方」といった言い方をすると、話が
どうも抽象的になってしまうので、違った見方をしてみましょう。

研修において重要なことは、

 まず「知ってもらうこと」
 次に「できるようになってもらうこと」
 そして「実際に(職場に戻って)やってもらうこと」

だと思います。これは、私が考えたわけではなくて、インストラクショナル
デザインなんかの本を見ても、これと同じようなことが書いてあります。
(微妙に表現が違うかもしれません。いま本が手元にないので・・・)

研修の感想として「そんなの知ってた」という答が返ってきたとすれば、
「できるようになってもらうこと」「やってもらうこと」の部分が足りなかった
のではないかと考えるべきではないかなあ・・・と思うわけです。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
ということわざのように、実際に「やってもらう」ことは難しいし、どんな
に優秀な講師だって100パーセントはおそらくあり得ない。

それでも、その比率を少しでも上げようとするのが、研修を行う側の
務めじゃないかと思うんです。



ちょっと偉そうなことを言ってしまいましたが・・・(汗)

私が行う研修だって、100パーセントの人に「やってもらう」ことが
できてはいないと思いますし、それを悔しいと思うこともあります。
でも、それを受講者のせいにするのはどうなんですかね・・・。
個人的には、ちょっと違うんじゃないかと思ってます。



こういうと挙げ足を取るようでちょっと嫌なのですが・・・、

上記の記事の著者は、特に事前の説明なしに 『知識所有教育を受け、
情報優位社会に生きているので』という表現を使っています。

しかし、『知識所有教育』や『情報優位社会』という言葉は、一般に
使われているものではありません(「"」で囲ってググれば分かります)。
『詰め込み教育』とか『情報化社会』なら一般的ですけどね。

そういう、講師オリジナルの熟語を、事前の説明なしに当然のように使う
のは、受け手に不親切なことですし、それを押し付けるのは、ちょっと
「上から目線」のような気がします。もしかしたら、そういうところが受講
者から反感をかうのでは・・・というのは私の邪推です(失礼しました)。



以降は上の記事とは関係ない一般論として・・・

研修の講師や本の著者になると、世の中では「先生」と呼ばれる立場に
なります。だからこそ謙虚さや、受け手に対する配慮を失わないように
常に心がける必要があるんじゃないかなあ・・・と思います。

私は30代後半になって急にそんな立場になってしまったので、いまだに
「先生」と呼ばれると変な感じがしてしまうのですが・・・(汗)



今日の記事作成時間は61分でした。
では、また次回!


このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなにブックマーク
Posted by 水口和彦 at 23:55│Comments(0)TrackBack(0)

時間管理術研究所の無料メールマガジンで
モチベーションアップしてみませんか?
メールアドレスを入力すれば登録できます! → 
バックナンバーはこちら
Copyright (c) 2005-2014 BizARK Inc. All rights reserved.
この記事へのトラックバックURL
(参照リンクの無いトラックバックは受け付けておりません)
 

※ スパムコメントがあまりに多いため「http://」は使用不可の設定にしています。
  URLをご紹介頂く場合は「http://」を省くか全角文字を使用して頂けますと
  幸いです。