2012年08月05日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

音楽で持久力・集中力アップ?


こんにちは。水口です。

オリンピックの最中ですが、こんな記事がありました。

音楽はアスリートの「合法的な麻薬」、能力向上を研究で証明
(ロイター) - Yahoo!ニュース


『』内は引用です)
 
『開催中のロンドン五輪の競泳などでも、選手がヘッドフォンで音楽を聴き
ながら競技の開始を待つ姿が見られるが、音楽にはアスリートの能力を
向上させる効果のあることが複数の研究で明らかとなっている。

スポーツ心理学者で、一流アスリートがどのように音楽を使用しているかを
研究する世界有数の専門家であるCostas Karageorghis氏は、音楽は
「アスリートにとって合法的な麻薬のようなもの」と表現する。

スポーツ心理学の専門誌に掲載された研究では、米歌手マドンナや
英ロックバンド「クイーン」などの曲をランナーに聴かせたところ、走る距離や
時間が伸びたという。別の研究でも、走行距離が18%伸び、音楽には持久
運動能力を向上させる効果があることが実証された。

また、音楽にはアスリートを外部やネガティブ思考から遮断し、競技に集中
させるという効果もある。Karageorghis氏は「思考はアスリートにとって最悪の
敵」だとし、音楽は感情を効果的にコントロールする良い方法だと指摘した。』


                            (上記サイトより引用)

『麻薬』という表現が適切かどうかはちょっと疑問ですが、
音楽によって、持久力や集中力が高まるという話です。


これはアスリートだけでなく、たとえば仕事でも同じようなことが
あるんじゃないかという気がします。

たとえば、昔この本↓を読んだことがあるのですが、
音楽を流すことで(工場などでの)作業効率が高まったと
いう例が載っていました。

聴くだけで10倍仕事のできる絶対テンポ116
聴くだけで10倍仕事のできる絶対テンポ116

この本、テンポが「116」がいいという理由の部分で、ちょっと説得力に欠ける
ような気もしたのですが・・・、それは置いておいて。 音楽で作業効率が変わる
というのはわかるような気がします。私自身も音楽の影響は感じています。

デスクワークの場合、いろいろと邪魔が入ったり、中断させられたりするので、
作業効率や持久力、集中力を比較するのはなかなか難しいです。また、音楽
などの環境だけでなく、その日の自分自身のコンディションでも変わってくる
ものなので、比較するのはますます難しくなってしまいます。

そんなわけで、音楽の有無でどう変わるか? ということをきっちり検証した
ことはないのですが、個人的には音楽があった方が、集中力や、その持続と
いう面で効果的だと感じることが多いです。
(原稿の執筆など、割と集中が必要な作業のときによく感じます)


もう少し詳しくいうと、(自分自身の)調子がいいときは、音楽なしで集中
できるし、持続もできます。このときに音楽の効果がどれだけあるのかは
はっきり分かりません(どちらでもあまり変わらないような気はします)。

一方、なにか集中しづらい・・・と感じるときなどは、音楽を聞きながら作業
すると、集中しやすくなったり、集中が持続しやすくなったりします。こういう
ときには音楽の効果を強く感じます。


ただ、なんでも音楽があればいいというわけでもないようで・・・

・ 嫌いな曲だと逆効果になることがある
  (カフェなどのBGMでそんなふうに感じたことがあります)

・ 聞き慣れない曲、新しい曲だと良くない
  (好きなアーティストの新曲とかは、曲の方に注意がいってしまいます)

と感じています。

逆に良いのは、

・ 何十回(あるいはそれ以上)聞いてるような好きな曲

だと感じます。私の場合、そんな聞き慣れた曲であれば、ジャンルはあまり
関係ないと感じています。たとえばロック系の激しい曲でも全然OKです。


よく言われることとして、こういう場合のBGMには、ボーカル曲よりも
インストゥルメンタル(歌なしの曲)の方がいい、という説があります。
(歌詞が気になると集中できないという理由で)

しかし、個人的には、聞き慣れた曲であれば歌詞は気にならないですし、
ボーカル曲だから集中できないと感じたことはありません。
(このへんは個人差があるかもしれませんが)



そんな感じで、私の場合、使えるときは音楽を使いながら仕事をすると
いうのが、独立以降の自分のスタイルになっています。
(音楽なしで仕事に集中してるときもありますので、必ずいつも音楽を
 かけているというわけではありません)

・・・で、たとえばオフィスに音楽を流すとどうなるか? という話ですが、
上記のような傾向が他の人にも当てはまるとすれば、それぞれの人が
好む曲・聞き慣れた曲は違うわけで、全員がうまく集中力や持続力を
高められるかどうかは微妙かもしれません・・・。

となると、当たり障りのない、いかにもBGM的なBGMを流しておくと
いう感じになります。これだけでもいくらか効果はあるような気はしますし、
集中力は上がらなくても、ストレス軽減の方で効果があるかもしれません。
(試したことがないので断言できませんが)


音楽を流しているオフィスって、かなり少ないですよね。全員に効果が
あるとは限りませんが、オフィスで音楽を流してみるのもいいんじゃない
ですかね。



今日の記事作成時間は35分でした。
では、また次回!  

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2012年07月01日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「英語公用語化」にともなう問題?


こんにちは。水口です。

こんな記事がありました。

楽天を「英語」がいやで辞めた社員 「いるが、思うほど多くない」と三木谷社長
(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース


『』内は引用です)
 
『 楽天で「完全英語公用語化」が2012年7月1日に始まるのを前に、三木谷
浩史社長兼会長が6月29日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演した。

 著書「たかが英語!」(講談社)の発売を記念したもので、冒頭発言と質疑応
答のすべてを流ちょうな英語でこなした。三木谷氏は、「グローバル化するため
には英語が不可欠」などと説明。「英語がいやで辞めた社員もいるのでは」
「生産性が落ちるのでは」といった懐疑的な声も相次いだが、「辞めた人は多く
ない」「業務に必要な単語数は多くない」などと反論した。』

                                   (上記サイトより引用)

「英語を公用語化する」ことの是非や必要性は置いておいて・・・、
実際にうまくいくか、気になっていた人は多いのではないでしょうか?

記事には、こんなことが書かれていました。

『』内は引用です)
 
『(中略) 英語化表明から約1年は、三木谷氏は比較的楽観的だったが、
11年にハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のケーススタディーとして同社が
取り上げられ、これが一変した。ケーススタディーを作るためのHBSによる調査
で、社員の多くがストレスを抱えていることが判明したのだ。調査以前は、自助
努力として英語の学習を求めていたが、これを業務の一環として位置づける
ことにし、無料レッスンも提供するようになった。』

                                   (上記サイトより引用)

このHBSによる調査がなかったらどうなっていたのか、ちょっと怖いですね。
当たり前かもしれませんが、英語の公用語化にともなう、社員への負担や
ストレスは高いようです。

楽天の場合、業務時間中に無料レッスンを受けられるようにしたようですが、
これを「会社がそこまで面倒みなきゃいけないの?」と思う人もいるでしょう。

ただ、英語公用語化より以前に入社した人にとっては、労働条件が大きく
変わったようなもので、「入社時の話と違う」ということにもなるわけで・・・、
会社側が手厚くサポートするのは当然ではないでしょうか。
(公用語が英語と分かってて入社する場合は別として)

今後、英語を公用語化する企業にとっては、こうした対応が1つの目安に
なるのではないかと思います。


また、記事でちょっと気になったのが、この部分。

 
『(中略) 記者からは、英語公用語化のデメリットを指摘する声も相次いだ。
例えば、

  「英語を話すのがいやで辞めた社員はいるのか。いるとすれば、どんな
 捨て台詞を吐いて辞めていったのか」

 という質問も飛んだが、

  「いるが、あなたが思うほど多くはない。彼ら(辞めた社員)は英語公用化
が我々にとって非常に重要なプロジェクトだということを理解しており、特に
悪いことは言わなかった。残念(sorry)だと言っていた」

とかわした。』

                                   (上記サイトより引用)

英語の公用語化が納得できなかった、合わなかった・・・などの理由で
辞めた人もいるが、その人たちは会社に対して文句は言わなかった・・・
そんな話を聞くと、悪いことを考える人が出てきそうな気もします。

たとえば、英語公用語という名目で社員に英語を押しつけ、ついていけ
ない人が辞めていくのを待つ・・・ そんなふうに、英語をリストラ目的で
利用する経営者が出てこないとは限りません。これはちょっと心配です。
(※ 楽天がそうだと言ってるわけではありません)



個人的な意見としては・・・、会社の事業展開や、社員の外国人比率など
によっては、(日本で)英語を公用語化する企業があっても当然だと思って
いますし、今後もゆるやかに増えていくのではないかと考えています。
(もちろん、そうしないという判断もあっていいと思います)

ただ、入社後に、公用語が切り換えるということになれば、社員の負担は
ありますし、「それなら(入社前に)この会社を選ばなかったのに」と思う人も
いるでしょう。もしかしたら訴訟に発展することもあるかもしれません。
そこが気になります。

逆にいえば、将来、英語を公用語化する(かもしれない)という企業は、
(就活生に対する)会社説明などの段階でそう説明しておくべきかと。
後々のことを考えれば、その方がお互いにとって良いですよね。



今日の記事作成時間は41分でした。
では、また次回!  
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2012年04月03日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

帰宅指示を出すタイミング


こんにちは。水口です。
今回の低気圧はすごかったです・・・。
みなさん、大丈夫でしょうか。

私は、ちょっと油断したスキに突風にあおられ、
お気に入りだった傘をこわしてしまいました・・・(涙)
一瞬で傘の骨が3本折れましたから、かなりの風ですね。

で、東京では暴風雨のピークが帰宅時間に重なるために
混乱が予想されましたが・・・、今回はまあまあうまく対応
できたのではないでしょうか。

“台風並み”の暴風雨で「帰宅命令」「臨時休業」相次ぐ
(CNET Japan) - Yahoo!ニュース


『』内は引用です)
 
『 急速に発達した低気圧が“台風並み”の暴風雨となって、西日本を中心に
被害に見舞われている。西日本ではケガ人も出ている模様だ。

 東日本大震災や昨年9月の台風などの経験から、関東圏の企業は帰宅命令
や指示を出している。ヤフーのリアルタイム検索では「帰宅指示」が続々と流れ
てくる。また「臨時休業」とする事業所も多い。(後略)』

                                   (上記サイトより引用)

帰宅指示が出た企業は多かったようで、私が見かけた16時頃には、すでに
帰路に向かう人を多く見かけました。混んではいましたが、通常の帰宅ラッシュ
時よりはやや少ないくらいの感じでした。

また、東京都はこんなふうに↓呼びかけていたそうです。

一斉帰宅避け時間差終業を…都が企業に呼びかけ
(読売新聞) - Yahoo!ニュース


『』内は引用です)
 
『 東京地方に暴風・波浪警報が出されたことを受け、東京都は3日昼、
経団連や東京商工会議所を通じて都内の企業に対し、交通機関の混乱を
防ぐために終業時間を早めたり、または逆に遅くしたりすることで、帰宅を
集中させないよう要請した。』

                                   (上記サイトより引用)

この呼びかけが効果があったのかどうかはわかりませんが、今回は
結果としては、割とうまく対応できたのではないかと思います。
(一部混乱はあったそうですが)

反省点があるとすれば、帰宅指示をもっと早く出しても良かった
かも・・・という点ぐらいじゃないでしょうか。夕方になると荒れてくる
ことは早くに予想されていたので、午前中終わりで帰宅させるくらい
のことをしても良かったかもしれません。
(私が聞いた範囲では15時終わりにした会社が多かったです)

都が要請したように、帰宅を分散させることことは大事ですが、
判断が遅いと、帰宅を遅くする方にしか分散できません。

今回は時間が経てば風が収まってくるのは分かっていたので、
帰宅を遅くするのも正解ではありますが、この状況で帰宅が遅く
なると家族を心配する人もいるでしょう。やはり早めに判断する
に越したことはないと思います。

というわけで、今回の対応も悪くはなかったと思いますが、
早めに判断する(早い時間に帰宅指示する)会社がもう少し
増えるとさらにいいんじゃないかなあ、と思いました。

このブログの読者の中には、人事担当の方も多いので、
老婆心ながら書いてみました。



今日の記事作成時間は30分でした。
では、また次回!  
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2011年12月30日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「想定できなかった」と「想定していなかった」の違い


こんにちは。水口です。

今日はマニアックな話ですし、時間管理とは関係ない話なので、
興味のない方はスルーしてください。


このブログでは、原発事故関連の話題はあまり取り上げてないのですが、
今年の総括として、ひとつ取り上げておきたい話題があります。

今年の原発事故に関連して、私が気になっている言葉があります。
それが『想定』という言葉です。

この言葉の使われ方が、ちょっと気になるんです。


■ 「想定できなかった」と「想定しなかった」は違う

私が気になるのは、今回の原発事故に関連して「想定できなかった」と
いう言葉がよく使われているところです。

東京電力の発表のなかで聞くだけでなく、マスメディアのなかでもこの
「想定できなかった」という言葉がよく使われています。

しかし、私は、この言葉使いはすべきでないと考えています。今回の津波に
関しては「想定できなかった」よりも「想定しなかった」と言うべきだと考えます。


というのは・・・

たとえば、自動車の設計において安全性を検討する場合、さまざまな「想定」が
なされます。

「○○の故障が生じた場合、□□の不具合が発生する」というように、様々な
故障モードを想定し、そうなった場合の危険の大きさや、その故障モードが発生
する確率の高さを評価し、その上で、そうならないための対策を検討します。

しかし、自動車は使い方しだいで危険なものに成り得るのは間違いありません。
仮に、故意に人を殺傷しようとして車を運転する人がいたとしたら、それを止める
術はありませんでした(最近ではスバルの例など、実用化されつつありますが)。

「どんな状況においても自動車は安全なものであり、人を傷つけるべきではない」
という観点に立てば、自動車は不完全なものと言えるかもしれません。しかし、
それは技術的に不可能だったし、そもそも、それを言い出したら包丁だって
カッターだって危険です。

ですから、自動車の場合は・・・、

「故意に人を殺傷しようとして運転する人」もいるかもしれないけど、そこまで
想定して安全を確保することはできない・・・という立場で開発してるわけです。

この場合、設計者は「故意に人を殺傷しようとして運転する人」がいるかもしれ
ないことを想定できないわけではありません。人並みの想像力があれば、そう
いう事態が(数は少ないにせよ)起こり得ることは想像できます。

つまり、自動車メーカーにとって「故意に人を殺傷しようとして運転する人」の
存在は「想定できない」わけではないけれど、安全対策を検討する上では
「そこまでは想定しない」という判断を下しているわけです。


それを「想定できない」わけではないけれど、
それを「想定しない」という判断を下す。

このように「想定できない」ことと「想定しない」ことは明らかに異なります。

設計者としては、故意に人を殺傷しようとしても殺傷できない車を開発したい
という気持ちはあるものの、現実的にそこまではできないので「想定しない」と
いう判断をしているわけです。また、この判断において自動車メーカーが責め
られることはありませんでした。そこまで安全対策をしろというのは、無理が
ありますから(今後は変わるかもしれませんが)。


■ 「想定できなかった」という言葉が問題をぼやけさせる

で、今回の原発事故における津波の場合は・・・
「想定できなかった」のではなく「想定しなかった」のは明らかです。

たとえば、「将来、東北地方で最大○メートルの津波が発生する可能性がある」
という予測値はあったでしょうけど、それと設計上の「想定」は別です。

機械の設計においては、予測される使用条件よりも強度を高く設計するのが
当たり前で、その比率を表す「安全率」という言葉もあります。

予測よりも高い負荷がかかる場合、劣化により強度が低下する場合、あるいは
施工や製作過程でバラツキがあった場合・・・等々を想定して、より高い負荷に
耐えられるように設計上の強度を決めます。


津波の場合、予測値よりも高い波が来ることもあるかもしれないということは
誰にでも想像できます。逆に、「予測値よりも高い波は絶対来ない」と断言する
方が難しいくらいです。

あるいは、極端な例を考えれば、地球に小惑星が衝突すれば、数百メートル
(あるいはそれ以上)の津波が生じるし、実際に過去にそういうことが起こった
ことも分かっています(人類誕生以前の話ですが)。

ですから、非常に高い津波が来ることが「想定できなかった」と言うのは、
根本的に間違っています。

その上で、たとえば「数百メートル規模の津波が来れば、人類そのものが絶滅
する可能性もあるくらいだから、そこまで想定しなくていいんじゃない」という
判断もあるかもしれません。

そうやって現実的な落としどころとして「○○メートルの津波に耐えるように
設計しよう」というのが、「想定をする」ということです。

十数メートル規模の津波が来る可能性は(小さいにせよ)あったわけで、
「想定できなかった」と言うのは不適切。「想定しなかった」と言うべきです。


■ 「想定しない」こと自体が悪いわけではない

「想定しなかった」というと、何だか無責任な感じがするかもしれませんが、
自動車にせよ、建築物にせよ、なんらかの想定のもとに設計基準が決められ
ているわけですし、「(想像できるけど)想定していない」事象は必ずあります。

ですから、何の分野であれ、設計者が「これ以上の条件は想定していない」と
いうこと自体は恥ずべきことではありません。重要なのは、その「想定」の
レベルが妥当かどうかです。

※ これは私達自身の仕事についても同じです。



というわけで、今回の原発事故において必要なのは・・・

まず、「こういう想定で作りました」という設計上の基準を詳細に公開する。
実際の施工や管理が「設計上の想定に耐えられるものだったか」を調査する。
そして、そもそも「その想定や安全率が適切であったかどうか」を検証する。

の3点ではないでしょうか。これが明確にならなければ進歩はありませんし、
この議論がなければ、私はストレステストの結果も信用しません。

この議論の前提になるのは、「想定」は「できる・できない」の問題ではなく
「する・しない」の問題だという認識です。逆に、「想定できなかった」と
いう言葉を使えば使うほど、問題の焦点はぼやけていきます。


で・・・、残念なのは、本来ならばこういうことを指摘すべきマスメディアで
「想定できなかった」という言葉づかいをしているケースが多いことです。

「想定外」とか「想定していなかった」という言葉と、「想定できなかった」と
いう言葉には大きな違いがあると「想定」してくれればなあ・・・と思います。


※ たとえば、どんな科学者も予想しなかったような物理現象が起こった
   のなら「想定できなかった」と言ってもいいと思いますが、今回のケース
   は明らかにそれには該当しないはずです。



重箱の隅をつっつくような話を考えてたせいか、
今日の記事作成時間は90分もかかってしまいました・・・

では、また次回!
  
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2011年12月26日     このエントリーをはてなにブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

本の「自炊」はいけないことなのか?


こんにちは。水口です。

今日は「電子書籍」関連した「自炊」の話です。
マニアックな話なので、興味のない方はスルーしちゃってください。
(自分でスルーを勧めるブログって珍しいですかね・・・(笑) )


■ 本の「自炊」に興味がありますか?

「電子書籍」を使ってみたいけど、まだ手が出せない・・・
(プラットフォームは統一されないし、ラインナップは少ないし・・・)
と思っている人は多いと思います(私もその一人です)。

「それなら、自分で書籍をスキャンして電子化すればいいじゃない」
という人が始めているのが、いわゆる「自炊」と呼ばれるもので、
紙の書籍をスキャンして電子化(pdfファイルとかに)する手法です。

書籍をスキャンするには「裁断→シートフィードスキャナーでスキャン」
という手順を踏みます。スキャナーが手頃になり、PCが高性能に
なったおかげで、昔よりも、こうした作業は身近になりました。

でも、やっぱりちょっと面倒だし、裁断機がないと自炊がしにくいという
のもハードルの高さを感じます。そこで、そのスキャンを代行するという
業者が現れたというのが、昨年あたりからの「自炊」関係の動きでした。

その「スキャン代行」という業態が、著作権上問題があるのではないか?
という議論は以前からありましたが、判例もないため、白黒はっきりして
いなかった・・・というのが現状。そのため利用してみたいと思うけど、
ちょっとためらってしまうという人も多かったのではないでしょうか。


■ 作家が「自炊」業者を提訴

こんなニュースがありました。

東野圭吾さんら作家7名がスキャン代行業者2社を提訴――その意図
(ITmedia eBook USER) - Yahoo!ニュース


『』内は引用です)

『 スキャン代行業者に対して著作権者がとうとうアクションを起こした――
浅田次郎氏、大沢在昌氏、永井豪氏、林真理子氏、東野圭吾氏、弘兼憲史
氏、武論尊氏の7名を原告とし、スキャン代行業者2社に対し原告作品の複製
権を侵害しないよう行為の差し止めを求める提訴が12月20日に東京地方
裁判所に提起された。(中略)

 ここで問題となったのは、著作権法違反ではないかというものだ。著作権法
では、著作物の私的使用を目的とする場合は、その「使用する者が複製する
ことができる」と定められている。このため、ユーザーが自分で“自炊”を行うこと
は何ら問題なかったわけだ。しかし、代行業者は“使用する者”ではないため、
著作権法の複製権侵害に当たるというのが問題のおおまかな説明だ。条文に
当たれば違法だが、これまでは判例もなく、グレーゾーンでの運用が続いていた。
著作権侵害を回避するためのアイデアも登場してはいたが、スキャン代行業者
を複製の主体とみなす判例を作ろうとするのが今回の提訴の目的といえる。
(中略)

 記者説明会の会場にはオークションに出品されていた裁断済みの本が大量に
並べられていた。実際にこうした行為を行っているのはユーザーである可能性も
高く、あくまで「こんな状況がある」というのを示すためのものでしかないが、それ
に間接的にでも関与し得るスキャン代行業者には一定の非があるという論調
だった。ユーザー自身が自分でスキャンしていたら、著作権者には一銭も入らな
いのに、業者がスキャンしたら損害であるというのはやや合理性に欠ける部分も
あるが、その辺りを違法流通への懸念として“丸めた”ように思う。実際、今回の
訴状では、スキャン代行業者に依頼したエンドユーザーの責任などは趣旨と外れ
ることもあって特に触れられていない(共同主体と仮定されている程度)。
(後略)』


                                 (上記サイトより引用)

こうした訴訟はいずれあるだろうと思っていましたし、
白黒はっきりさせるためには必要なことだと思います。

ただ、この記者会見の内容には、ちょっと違和感も覚えます。


■ 自炊代行がダメ? 自炊もダメ?

「裁断済みの本がオークションにかけられている」という状況は、
私個人としても、良くないことだと思います。

ただ、私が良くないと思うのは、本をデータ化した後に売却するという行為
であって、裁断する行為そのものではありません。

裁断済みであれ、売却するのは、所有権を譲渡したことになるわけで、
そうなれば、その本を読む(データとして利用する)こともすべきではない。
所有しているからこそ、私的複製したデータも利用できる。私はそう思う
ので、データを手元に残して本を売却するのは反則という気がします。

もし、オークションに出した人が、データは手元に残しているとすれば、
厳密には著作権法に違反するのではないでしょうか?
(実質的には確かめようがないですが)


・・・という論点なら納得いくのですが、上記の記者会見では「裁断すること」
そのものが悪いと主張しているようで、「論旨のすり替え」を感じます。

「自炊代行」を批判するついでに、「自炊」そのものも批判しているような、
「スキャン代行業者」だけでなく、「自分でスキャンする人」も含めて牽制する
意図があるような・・・ そんな感じで、いいやり方とは思えません。

作家が「自分の本を裁断しないで欲しい」と読者に「お願い」するのは自由
ですが、裁断すること自体が「違法」であるかのような印象付けをしようと
するのは、ちょっと見苦しいような気がします。

所有物である本を裁断するのは持ち主の自由だし、(私的利用ならば)
電子化するのも持ち主の自由。法的に許された、持ち主の権利です。
ですから、それを「代行すること」の是非に論点を絞るべきだと思います。


■ 私の本は?

かくいう私自身も本を書いてますから(いつの間にか10冊も!)、
本の「著作権者」ではあります。

その立場としていえば、本が裁断されるのは寂しいもの。でも、電子化
されたものであれ、読んでもらえる(あるいはいつかまた再読してもらえる)
のなら、それはそれでうれしいことです。
(普通に読む用と自炊用で2冊買ってくれると、もっとうれしいです (笑))

ですから、「裁断した本を売却する」のは反則だと思いますが、
「自炊」そのものを否定する気はありません。

※ 私の場合、本の執筆が本業(主たる収入源)ではないので、
   専業の作家さんとは感覚が違うかもしれませんが・・・。
   でも、私と同様の考えを持つ作家さんも結構いるのでは?。
   (『海猿』『ブラよろ』の佐藤秀峰さんもそんな感じみたいです↓)
   佐藤秀峰 日記 | 漫画 on Web


■ 本の所有権はどこにある?

先の提訴や記者会見の話からはちょっとそれますが、よくよく考えてみると、
この問題は結構根が深いように思えます。

従来なら、(物としての)本と、本の内容(データ)は不可分のものでした。
「物」としての本と、本を「読む権利」が不可分だったわけです。

だから話は簡単で、たとえば、本を古本屋に売る場合、「物」としての本と、
本を「読む権利」を同時に売ったと解釈できました(買う場合も同様です)。


しかし、今はスキャンという手段で、「物」としての本を手放したとしても、
その本を「読む権利」を手元に残すことが可能になりました。

ですから、「物」としての本を人に売った後も、「読む権利」を行使することも
できるわけですが、これは合法なのでしょうか?
(個人的には(厳密には)違法だと思っているのですが・・・)


では、「物」としての本を廃棄した場合はどうか? たとえば、スキャンした
データを手元に残し、裁断済みの本を廃棄した場合はどうでしょう。

「物」としての本を廃棄するのは、(物としての)所有権を放棄するのと同じ。
それでも「読む権利」を維持していると考えていいのでしょうか?
(個人的には「読む権利」は維持していると思っているのですが・・・)


あるいは、そんなややこしいことは考える必要はなくって、コピーを第三者に
配布する以外は、ほぼ「何でもあり」になるのかもしれません。実際、CDは
実質的にそんな感じになっています(自分で聞く用途に限っていえば)。

だからCDが売れなくなったのかもしれないし、本がそんなふうになってしまう
のは困る・・・という意見はあるでしょう(私だってそうなってほしくはないし)。
でも、それと法的な判断は別です。


今後、今回の提訴をはじめとして、いろいろな判例が出てくると思いますが、
見守っていきたいと思います。



今日の記事作成時間は60分でした。
では、また次回!
  
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Posted by 水口和彦 at 08:00Comments(0)TrackBack(0)

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